孤高で後光。

冷蔵庫に入れておくとオリーブオイルがかたまって使いにくくなるので、なるべく常温で保存する。そして、なるべく早く使い切ってしまう。そして、また買ってくる。このところ、そんなことを繰り返している。「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」。長い名前のこの商品に最初はさほどひかれてはいなかった。

卵かけ醤油自体はあちこちにあって別に珍しいものではないから。だが、たぶん青山店だったと思うが、手に取ってみてそのあまりのボトルの美しさに心を奪われた。香水瓶にも希少な何か素敵な液体が入っているボトルにも見えて、思わず買ってしまった。ぼくはいまでもこのときの衝動的な買い物が、大きな力による導きであったと思っている。

持ち帰ってしばらくは使わずに目の届くところに置き、手に取って眺めた。琥珀色の粘度を感じさせる液体の中に浮き沈みしているのがトリュフだ。軽く振るとちらちらと不規則な舞いを舞う。これがまた美しい。それに妙に癒されるではないか。いや、これは美しすぎてずっと食べないでいるかもしれない。そう思っていたのだが。

全卵主義。

生卵、特に白身の部分には魚臭のような特有の生臭さがある。これは自然界に普通に存在するトリメチルアミンという気体が卵の中にできるためと言われているが、環境を整備することで無臭化したり、養鶏家がえさを工夫することで抑えられるようになっているという。が、これはほんの一部らしい。普通に手に入る卵は、気にしてみるとちゃんと臭う。ぼくは、卵かけごはんを食べるときには、白身もカラザも黄身も全部かける全卵主義者なのだが、臭いは気にしないようにしていた。

よくよく嗅ぐと生臭さが立って、気になって生卵が食べられなくなりそうだったから。普通に醤油を投入すれば、醤油の味に。味噌なら味噌の味に。納豆に混ぜれば納豆の味に。無意識のうちに何かで臭いに蓋をしていたと気づいたのは、美しい「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」のボトルの中のトリュフ片の動きを目で追っているときだった。これをかけるとどうなるのだろう。これも臭いに蓋をするのだろうか。ほかの調味料や素材と同じように卵そのものの味の一部に完全に蓋をしてわからなくするのだろうか。いずれにせよ、それは大変に微妙で、多分に主観的で観念的な判断になる。

トリュフの存在価値。

全卵を炊きたてのごはんの上に落とす。次いで「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」をゆっくりと注ぐ。黄身をつぶさないように、白身とごはんの中にトリュフしょうゆを混ぜ込むように箸を動かす。

ひと通り馴染んだところで黄身をそっと押して少しずつつぶしていく。黄身が完全につぶれないうちに、ひと口すする。ふた口、そしてもうひと口どんどんすすって口の中へ。味も食感も微妙に変わっていく。

噛む。飲む。飲み込む。口蓋に、のどの奥に、鼻孔の先に、そして胃袋にこの食品に触れたところが次々に反応する。からだの中のいたるところで美味しさの小爆発が起きる。卵の黄身も白身もごはんも醤油もオリーブオイルも、それらだけならばこんなことは恐らく起きていない。トリュフ片の力を感じた。注がれて香りのみを強く押し出すのではなく、卵の臭いを内側に包み込み有機的に融合することで新しい価値へと昇華させている。蓋ではない。シャットアウトしているのではない。トリュフは卵のとりわけ臭いの部分をも素材として生かして、美味しさの一部に還元しているのだ。そう感じた。「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」におけるトリュフの違和感は結果的に個性の濃い食材をまとめて美味の高みへと引き上げるという快挙を遂げた。

言い足りなくて。

朝、「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」で卵かけごはんをいただくのを金とする。ランチなら銀で、夕食なら銅か。ここまではたぶん自分的に許される。時間的に遅くなってさんざんアルコールを飲んだ後で、小腹がすいてついこれをやってしまうと、酔いの勢いもあっておかわりまでしてしまうこともある。

そういうときのごはんは当然炊き立てなどではなく、保温されて何時間もたって炊飯器内のさまざまな臭気にまみれているのだが、ここに全卵を投下する。このどうしようもない状態の料理を「贅沢な卵かけトリュフしょうゆ」が圧倒的な美味に変える。この激変ぶりも楽しい。そんなマニアックな楽しみもちょっとだけおすすめです。

 
しろしょうゆとオリーブオイルに
黒トリュフを加えました。

紀ノ国屋 贅沢な卵かけトリュフしょうゆ

しろしょうゆとオリーブオイルに黒トリュフを加えました。卵料理に良く合うブレンドソースです。たまごかけご飯など卵料理との相性が良いです。そのまま生卵やオムレツにかけてお召し上がりください。

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tetsu.プロフィール 紀ノ国屋をこよなく愛するさすらいの食いしん坊。全国を歩いて美味しいものを探し出し、その美味しさを感動とともに誰かと共有することに至福を感じる。言葉とビジュアルを駆使し、思いをのせて表現の可能性を追求する食の伝道師をめざす。58歳。


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